名古屋高等裁判所 昭和32年(う)556号 判決
原判決挙示の証拠によれば、被告人が藤田英夫の利益を図る目的を以つて本件貸付行為をしたことを優に認定することができる。弁護人は被告人は居村の配給食糧の確保或は円滑な米穀販売と村民全般の食生活の安定と言う専ら村民全体の利益のために本件貸付行為をしたものであると強調するが、前記証拠によれば、藤田英夫は当時配給米及び販売米殻の代金回収が捗々しくなく、その上米穀販売業者の連合会の結成に伴う加入資金の支払に窮し、之等営業資金の調達のために判示農業協同組合長たる被告人に本件貸付方を依頼したものであり、被告人は当時右組合が貯金の払出も困難であり、貸付金も容易に回収出来ないような経営状態不良の状況の下にあつたに拘らず、貸付制限額三万円の限度を遙かに越えて金五十万円を貸付けたものであることを認めることができる。此の事実からみると被告人は右藤田の窮境を救いその営業資金調達のために換言すれば藤田の利益を図る意図を以つて右貸付行為をなしたものと言うべきである。尤も藤田英夫に於て営業資金不足すれば、村民への米穀の配給が不円滑となり、食生活の不安を生ずるおそれなしとしないから、被告人はかかる事態の生ずるのを避ける考え即ち村民の利益を図る目的をも有していたであろうことも認められるが、此の様な村民の利益を図る目的を有していたことは藤田個人の利益を図る目的を有していたことを排除するものではなく、両目的を兼有していたものと言うべきである。かくの如く被告人が村民の利益を図る目的を兼有していたとしても、既に藤田個人の利益を図る目的の存する以上原判決が判示の如く認定したのは正当であつて、何等の誤認はない
尚、背任罪の要件たる目的は自己又は第三者の利益を図る目的或は本人に損害を加える目的の何れか一つが存するを以つて足るものであり、その二者以上の目的を併せ有することを必要としない。従つて、原判決が被告人において第三者たる藤田英夫の利益を図る目的を有することを認定した以上、之により背任罪は成立するものであつて、最早や被告人が本人たる農業協同組合に損害を加える目的を有したか否やは論及する要がない。依つて此の点に関する弁護人の論点には言及しない。論旨は理由がない。
二、原判決が被告人は判示農業協同組合に対し財産上の損害を加えたと認定したのは事実誤認であるとの論旨について
背任罪の成立するには本人に財産上の損害を加うべきことの認識を必要とするものであるが、本件において、原判決挙示の証拠によれば、殊に被告人と藤田英夫間の貸付当時における言動の状況、藤田の資産営業状態、判示農業協同組合の経営状態、貸付金に対する担保(保証)の性質、弁済期後における主債務、保証債務の不履行の状況等に徴すれば、被告人において本件貸付当時右組合に財産上の損害を加える認識があつたものと認めるを相当とする。
弁護人は本件貸付行為は十分に資力を有する高木九郎及び鈴木源六の両名に連帯保証をさせた上なしたものであるから組合に対し財産上の損害を与えず、財産的実害発生の危険を生ぜしめるものではないと主張するが、被告人は右組合の組合長として組合の現金五十万円を支出して藤田英夫に貸し付けたものであるから、その金額だけ即時完全に組合財産を減少せしめたものであり、その代りに右組合が取得した財産は主債務者藤田に対する金五十万円の貸金債権と連帯保証人たる高木九郎、鈴木源六の両名に対する同額の保証債権とである。然しながら、藤田は前記の如く資産状態良好ならず、営業資金に窮して本件貸付を求めた程のものであるから、同人が弁済期に完全な弁済をなすことは到底期待し得られないものと言うべきであるから、同人に対する右貸金債権はその額面の財産的価値を有しないものであることは明白である。次に、右高木、鈴木の両名に対する保証債権の価値を考えるに、原審証人大橋寉二の証言によれば、高木九郎は見積価額約二百万円の不動産を有し、鈴木源六は約百万円の資力を有することが認められるが、保証の如き人的担保は質権抵当権の如き物的担保に比較すると甚しく債権担保の確実性を欠くものと言うことができる。即ち、物的担保は債権者に於てその物を現実に占有し又は登記により公示して、債務不履行あるときは即時且つ容易にその担保権を実行することができ、しかも他の債権者に優先して債務の弁済を受けることができるに反し、保証は保証人の有する財産を直接支配するものでなく、担保権の行使は簡単容易ではなく、しかも優先弁済を受け得るものではない。又保証人の有する財産もその営業状態等の変動により短期間内に減少若くは喪失を招来し、しかのみならず故意にその財産を処分してその担保価値の減殺を図ることも極めて容易である。殊に本件における如く金五十万円の被担保債権に対し百万円乃至二百万円の財産を有する程度の保証人に於ては右の如く格別に故意なしに若くは故意に担保価値の減殺を生ずるおそれは非常に大きいと言わねばならない(本件において結果的に言つても、鈴木源六は自己の不動産を他人名義に登記し、高木九郎は自己の保証を否認し、何れも組合よりの再三の保証債務履行の請求にも応ぜず、漸く昭和三一年一月三〇日に至り高木は金十五万円を、鈴木は金五万円を支払つたに過ぎないので、組合はその不動産を仮差押し、保証債務履行請求訴訟を提起し現在なお係属中の状態にある)従つて、右組合が現金支出による確実な財産の減少を来しながら、之に代つて同額の保証債権を取得するも被担保債権額と保証人の資産額とが前記の如き関係にあるときは右貸付行為は組合に対し財産的損害発生の危険を生ぜしめたものと言うべきである。
(裁判長判事 高橋嘉平 判事 伊藤淳吉 判事 木村直行)